どんたくからしめんたい   いけだ屋

こだわり続けて60年。

色を味わい彩に触れる、紅・味・彩・触

商品一覧

     

※本製品は「冷凍状態」でお届けいたします。

個包装になっている商品を段ボール箱に入れてお届けいたします。お召し上がりになられる24時間ほど前に、冷凍庫から取り出し、冷蔵庫へ移して様子を見ながら解凍してください。
詳細は「こちら」をご確認ください。

    

  • いけだ屋先代の池田博明さんと

  • 人気の梅ひじき

  • 鯛の味噌漬けも美味しいです

  • 包装イメージ

どんたくとは オランダ語のZondag(休日)が語源とされる「博多どんたく」

創業 60年 誕生地 福岡市南区

【誕生からめんたいこづくりまで】

創業者(池田康介 イケダヤススケ)はもともと福岡市南区の市場に出入りするお総菜屋さんでありました。当時、皆からは「魚天(うおてん)」さんと呼ばれており、新鮮な海産物を仕入れては、てんぷらや串揚げなどのお惣菜を作り、市場周りで働く人たちの胃袋を満たしておりました。当時は、今では考えられないがクジラ肉が多く出回り、大衆の一般的な食材でもありました。その後、お惣菜から塩干物(えんかんぶつ)を作るようになり水産加工品づくりへと発展していきました。

 

水産加工品を作るようになり、福岡市にある菜根(さいこん)問屋の集まりに大手めんたいこメーカー「ふくや」の創業者・川原俊夫氏が、韓国風に味付けされたたらこ(魚卵)を日本人向けに味付けをしたらどうか、という発案で今の「めんたいこ」の原型が出来始めました。試行錯誤の末に生みだした明太子を、川原俊夫氏は特許を取る事なく、その製法を知りたい人に惜しみなく教えました。「いろんな味があっていい」という川原俊夫氏の考えにより様々な作り手によって幅広い味が生まれ、明太子は博多を代表する名産となったのです。池田康介もその中の一人であります。

 

 【めんたいこの存在感の移り変わり】

めんたいこは当時、かなりの高級食材でありました。それが大手メーカーの台頭により全国で食されるようになるのだが、同時に国内産の獲れる量が減りアメリカ産などの外国産が出回り、次第に価格も値下がりはじめ、一般家庭でも気軽に食べれるようになりました。

時代が変わるにつれ、国民の食生活も豊かになり、昔はご飯一膳に対し、めんたいこ1/4ハラ程度であったが、最近ではお重一つに対しめんたいこ1ハラ(1本のこと)があたりまえであります。塩味辛みが強くしっかりとした味わいのイメージだったが、今は旨味があり、なめらかな味わいの老若男女に受け入れられる味に変わってきております。

【どんたくからしめんたい いけだ屋のこだわり】

二代目 池田博明(イケダヒロアキ)が創業者の味を継承するためにこだわっていることは、材料の目利きと調味(仕込み)に関しては全て自分でやるということ。特に「たらこ」に関しては国内産に徹している

そして、地元商店街の人々や、創業当時から来てくれているお客さんとのつながりを一番大切にしており、いけだ屋が味の継承とすると同時に、お客さまもいけだ屋めんたいこの味を、ご家庭でも代々継承してもらっている。

お客様が、「食べておいしい、食べて嬉しい」という一言のため、お客さまとの振る舞いを一番大切にしている。今もこれからも変わらぬ味を伝えるべく、めんたいこづくりに日々邁進しています